安心はできないが、悪い方向には向かっていない気がする。
彼女の決めたことならと普通に生活する。
最初のガンはきれいになくなり、排出物も再発してからしばらくしてなくなったが、肺がんがすべての始まりであることは間違いない。彼女の弱点は肺だ。体調が崩れるのはいつも肺の不調から始まる。
医者にもかからず、栄養補給もせず、時々ファスティングを繰り返す生活を続けていたが、思っていたよりも調子が良くなってきている。
不思議なことに、脇のリンパあたりの痛みも、膵臓も特に悪い感じはしない。誤診?いやいやそんな訳はない。まだ怪しいものはあるはず。油断せずに今の生活を続ける。
特に状態が悪くなることもなく1年以上が過ぎた。
このまま行ってくれれば御の字だ。
そんな時に、彼女から「来年のアメリカ旅行はホノルルマラソンにも参加したい!」と言ってきた。体格がいい僕は長距離走だけは苦手だ。今までの人生で長距離を走ることだけはできる限り避けてきた。さらに不整脈がほぼ治っているとは思うが、42.195kmも走ったら、どうなるかわからない。
当然、答えはNO!だ。
そもそもそう言う自分は大丈夫なのか?肺は持つのか?と言いたかったが、いつどうなるかわからない命だからこそ、思うように生きたいと言う事だろう。
むげに断るのは多少抵抗はあるが、なんせフルマラソン。自分が走り切れるとは思えない。。
だが、簡単に諦める彼女ではない。
「ぶんちゃんと一緒に走るのが夢なのよ!」と、次の一手。
夢という言葉に特に弱い自分、彼女が命をかけていることを考えると断るほどの強い気持ちもなく、「わかりました!」と嫌々ながらYES!と答えてしまった。
どんなマラソンになったかは、2004年の初フルマラソン、初ホノルルマラソンのページに書いた。
とんでもない挑戦!&ボロボロの結果!だった割には、なんとも言えない爽快感が体の中に浸透したのが不思議だった。
そんなわけで、2005年、2006年、2007年と3年も連続でトライすることになるのだが。。笑笑
彼女はよく体調を崩すものの、がんによるものとは思えず、やはり病院で検査してもらうことはせずに、何年も過ごした。体調を崩した時だけは必ず温熱をして体調を戻すのが僕の役割だ。普段からセルフケアすれば体調も崩さないと思うのだが、それにはabsolutely NO!を貫く彼女だった。何でや〜!
そんなこんなで、なんやかんや2010年を過ぎてから、かなり元気になってきた。推測ではあるが、その辺から癌細胞が全身から消えて無くなったと思っている。
まる10年近くかかったが、手術や抗がん剤を受けることなく、彼女は完全復調したのだろう。
自分の免疫力で復活したおかげで、2020年の今も元気でいられる。彼女はこの10年の間に何度か検診を受けてきたようで、どの診断でも西洋医学的にはどこも悪くないとの診断だったらしい。肺がん後の検査では肺がとんでもない空間状態の部分があったようだが、それすらも無くなり、普通の肺になっているとのこと。癌の心配は全くないということで、再び僕の愛用のサプリメントを摂って健康を維持している。
愛用のサプリは体を作ったり、体質改善するには、とても良いものなんだが、ガンに関しては注意が必要だ!そういうこと分かっただけでも貴重な体験だった、と今だから言える。。。
まだ書いてはいないが、彼女だけではなく、20年間いろいろなガンの人のケアをしてきた。強い抗がん剤を打ち続けた人以外は全員を助けることはできた。
その経験を生かして、今は温熱療法師として、人々の健康に携わる仕事を続ける気持ちも強く「全ての経験を活かして世の中の役に立つ健康の医学に少しでも貢献できれば本望だ」
これが自分の夢。
今後もたくさんの情報をもらいながら、役立て方を考えていきたい。
彼女の長い長い戦いの記録はこれにて終了!