【アメリカ生活 回想録】 その4

【アメリカ生活 回想録】 その4

ワンルームに住んで1年。
どうやらここでのクレジットができたみたいだ♪
オフィスに頼んでた甲斐あって、一番大きい部屋が空いたとのこと♪
まずは、先の人が引っ越される前に中を見せてもらった。
感動〜♪

150m2の大きな2ベッドルーム。2階に寝室が2部屋あって、パティオまでついてた。家賃は$2,500。即行決めた!返事をした!
当時のレートで30万円くらいだった。不思議なのは月契約と年契約があって、年契約にすると25万円くらいになったと思う。その部屋の現在の家賃は$3,500になってるので40万円か!日本では不動産価値が下がっていってるのに、ロスは驚きだわ!
考えてみれば、世界中で物価上昇が取り残されてるのは先進国の中では日本が際立ってるとのこと。日本人が海外に出るには、ある暮らし以上の人でないと難しくなってるのかも。。知らんけど。

ここに引っ越したら、ビジネスも私生活も俄然やる気が出てきた。
毎日が楽しい♪日本からも毎日のように人が来る。

時々は日本にも帰るので、日本のマンションもそのままにしてあったが、アメリカの比重が重くなるにつれ、日本をどうするか考えるようになった。最終的には日本にあるものは車も含めて全て処分することに決めた頃だった。

さて、家具を揃えなくては!
家具屋さんに置いてあるソファはどれも巨大!こんなのどれ1つとっても日本家屋では持て余す(今はそこそこ大きいものが日本で売られている)
でも買っちゃった!巨大ソファのセット!(笑)
価格は$4,000くらいだったと思うが、その豪華さから安く感じたので大体の金額を覚えてる。日本のものとは生地も座面の奥行きも肘置きのデカさも全然違う。
3人掛けと2人掛けのソファ、テーブル、サイドテーブルのこのセット、部屋がめっちゃ豪華になった〜♪

大事な寝室。
カチッカチの硬いベッドが好きでかなり探し回った。やっと見つかったのが台湾製のクイーンサイズ。物をあまり置かない性格なので、ベッドルームにはベッドだけ(笑)
これで毎晩ご機嫌なバタンキューな夜が待ってる。寝るのが大好きな自分としてはうれしいのが手に入った!

FAXでのやり取りが普通の日本だったが、僕がアメリカに住むと、もちろん相手は国際電話、アメリカからの電話は安いが、ぼったくりジャパンの電話会社からはどこを使ってもめちゃ高い。それでも、みんな面白がって国際電話でFAXしてくる。

この頃、未来形が好きな僕は次のことを考えていた。
これからはインターネットだ。
メールを使ってのやりとりを始めるために、パソコンを買った。前から欲しかったDELL製のデスクトップを買った。当時、1990年代はラップトップもデスクトップもDELLは進んでいた。ウィンドウズ派の僕にとっては前から欲しかったパソコン。その頃は西海岸はウィンドウズ、マッキントッシュは東海岸で多いと聞いていた。
さて、ネット環境を整えようとしても、最初は電話回線だった。ターミネーターに出てくるあの機械音のもの。今の人は知らないだろな。めちゃくちゃ遅い!写真を送るなんて大変だった。
少ししたら、電話会社からDSLの案内がきた。一気に500倍くらいスピードが上がった。徒歩と戦闘機の速度差だ。当時、DSL技術は日本ではまだまだ先のこと。その頃の日本はISDNという超遅い古い技術をNTTが相変わらず押してて、電話回線と違って常時接続が魅力だったせいかユーザーも多かった。もう未来が見えているのに、一旦始めたことのために押してくるやり方は昔も今もどこも同じ。ISDNは日本では一番速かったが、アメリカのDSLとは比べ物にならなかった。ロスがDSL化された頃、嬉しくてハワイの友人に送った画像のついたメール、割と何でも進んだものが好きな友人がかなり怒っていたのを覚えてる。重かったんだな!ハワイのDSL化はだいぶ後だったと思う。
2002年に日本に帰ってから、だいぶ経ってASDLが普及したということは、日本はアメリカに5年以上は遅れてる感じだった。
パソコンを使うに理由のほとんどは連絡用のメールだったが、相手がメールを使えればFAXよりはかなり便利だった。このbunsei.netのドメインも、その時に取った。友人のありがたいアドバイスで「これからは自分のドメインを持った方が信用される時代がやってくるかも」というのだ。素直が売りの自分は何の躊躇もなく取る事にした。20年以上前のことだ。
当時FAXをメールにして送ってくれるサービスもあったような気がする。アナログな日本とデジタルなアメリカと両方を楽しんでた時代だったな。ま、今でも日本はアナログが基本やけど。。
(続く)
https://bunsei.net/2020/10/24/post-326/

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