『不整脈の検査を受ける編』
この話は1988~1999年の話。
何回かに分けて、きちんと記録しておくことにした。
自己紹介でも書いているが、脈がおかしいのに初めて気づいたのは20台後半、会議中に頻繁に胸に痛みが走る。強くはないがチクッ、またチクッという感じで。
脈を取ってみると、時々自分の脈がないことに気づいた。仕事中と言うこともあり、気にしないように心がけた。無視しにくい数の脈跳びを感じたが、忙しくなっていく仕事にかまけて何年も放ったらかしだった。
33歳を過ぎた時、この時も会議中、また同じ不整脈だが今度はかなりキツい。ズキッとくる感じで心臓が痛い。間違いない。あの不整脈だ。どうやら段階が上がってしまったようだ。チクッには慣れてきていたのだが。。
もちろん、あの後、いくつかの病院に診察してもらっていたのだが、大問題だという医師もいないので、気にせずにバリバリ仕事していた。残業は平均200時間以上、多い時は250時間を超えていた。月の労働時間が400時間を超えると、仕事以外は何も考えられなくなる。
不整脈はどんどん酷くなるが、休めるわけもなく、35歳で会社を辞めるまで、精密検査もせずに働ききった。
不整脈のことを知っている上長が言った言葉を今でも覚えている。
「体に異常があったら、何でも相談に乗るから」
その後もこの上長はどんどん仕事を増やしていったので、この言葉が心の全くこもっていない言葉だけのもの!ということははわかっていた。
その後もとんでもなく仕事量は増えて、どうしようもなくなった。人生最大の決断とも言える退職を決めた。会社を辞めた後、しばらくは、ゆっくりすることにした。自分と向き合いたいとも思ってたし、不整脈も悪くなる一方で、体を休めたいとも思っていた。
ただ、食べていくためにも収入の手段は必要なこともあって休み続けるわけにはいかない。ラッキーにも辞める前から用意していたものがあり、自由裁量でやれるということもあり、それを進めていくことにした。
さて、この不整脈の正体。
どんなものかと言うと、脈が跳ぶ前の鼓動が大きくて、それが痛いのが辛い。わかりやすく書くと、「ドン!」と来て「シーン!」だ。
わかりにくいかも?
心電図上の感じで説明した方がわかりやすいかも。
心電図で大きな数字に振り切れた後、急に下がって何秒間か脈が触れずフラットになる。
気を失わないのはそれが2、3秒で5秒にもならない程度だからだろう。
人と喋っている時に連続で跳ぶと声がうわずる。
過度の緊張状態の人というか?極めて不気味な人に思われる。これではどんな仕事をしても、相手から決して良いようには思われない。
治したい!
今のようにネットで調べることもないので、近い病院を探して、あちこち回る。病院に電話すると、とりあえず来てくださいと言うので、心臓の専門とか関係なく手当たり次第。どこも治す話にはならない。
これではダメだ!
それで受診した医者に紹介状を書いてもらい、県立病院に行くことにした。大病院が良いとは限らないが、答えが欲しかった。
すると意外にも丁寧に話を聞いて検査してくれた。
心電図から始まって、運動負荷を加えたトレッドミル、24時間脈を観察するホルターという検査だった。もちろん血液検査も。結果、医学的には心臓に何の異常もなく、ここではお手上げ!ということだった。
そこの先生からの紹介で新設の県立病院でカテーテル検査をしてもらうことになった。
検査法としては、足の鼠蹊部から心臓までカテーテルを挿入し、造影剤を投入して心臓の動きを見る検査だ。
医師の話では、30台でカテーテル検査をする人間は珍しいらしい。そこまでやる必要があるのかと言った感じなのか?真意はわからない。説明の中で「1000人中1人が亡くなる」ので、同意書にサインをするシーンもあった。なんだか嫌な感じ。が、もう後には引けない。
根本的な原因を見つけてもらわないと、この後の一生がこれでは困る。
「お願いします!」と言う感じでサインした。
検査当日。朝からドキドキ。病院に着くと、まずは入院の手続き。あいにく集中治療室の病棟しか空いてないとのこと。何にも考えずに「どこでも良いです!」と答えたことを後で悔やんだんだが、もちろん、この時点でそんなことを知る由もない。
案内されたのは部屋というよりは、大きなカーテンで仕切っただけの空間、ま、仕方なしと着替えたら、まずは、いろいろな検査。そして、戻ってきたら、剃刀を渡される。
「しもの毛を全部きれいに剃らないといけないとのこと」
もう1つ書いておかなければいけないこと。それは、その病院だけかもしれないが、この集中治療室の看護師さんはきれいな人ばかり。「自分で剃れますか?」と軽い調子で聞かれるも、当時はまだ若かった。恥ずかしくて「自分で剃ります」と答えた。30台は現役ですから、もし大事な箇所に何らかの変化が起こっては末代までの恥!
丁重にお断りした。
ただ、きれいに剃った後に、「確認します!」と、軽い調子で言われ、スパッとパンツを下ろされることになった。
さて、メインイベントのカテーテル検査だが、なんせそれまでの人生で大病したこともなく、全てが初めて。ドキドキして不整脈が出まくってた気がする。それでも、検査室に入ってカテーテルの準備段階で、すでに「まな板の上の鯉」状態。観念したのか、検査直前には不整脈もなく落ち着いていたのは覚えている。
検査が始まって、カテーテル挿入は痛くなかったし、ずっと意識もしっかりとしていて、医師たちの声を全て聞き取れた。
心臓にカテーテルが届く直前は、一瞬緊張が走るのか、医師や看護師がせえの!みたいな間を取っていたような記憶がある。目標地点に到達した後は、まず普通の状態の心電図を取って、その後、造影剤を入れると説明された。
何も起こらないことを祈っていたが、造影剤を入れた時、胸が強い力で掴まれるような、短いが強烈な痛みが走った。「ううっ!」と大きな声を出したことを覚えている。その後、全身が熱く感じた。「大丈夫なんでしょうか?」と、医師に聞きたかったが声が出ず、心の中で思っただけだったが、医師の方から「なんともないですよ!」と言ってくれた。確かに、異常はその何秒間かだけだった。
検査後は6時間だったかな?12時間だったかな?長い時間、寝返りもできない。カテーテルの穴を明けた太腿の大動脈に重石を置いた状態でまったく動けなかった。これが一番辛かった。なんせ長かった!
病院に泊まるというのは、そんなに苦痛ではないようなことを友人から聞いていたし、きれいな看護師だらけで嬉しい気持ちでもいたんだが、そんなことは夜遅くになると吹っ飛んだ!
「集中治療室内の患者たち」
隣の患者、寝息でもイビキでもなく、呼吸が不規則なのだ。怖い!
離れたところで突然変な電子音が鳴って、人がバタバタと走っていく。絶対にやばいことが起こってる!
それが収まると、何度も看護師を呼ぶ緊急の呼び出し音が聞こえる。
ほとんど寝れなかった。
病気って大変だわ。検査してもらうだけでも辛すぎる。
さて後日ではあるが、検査結果を聞く日。
検査結果から、自分の心臓に対する医師の見解というものを聞けた訳だが、結論から言うと、「教科書に出てくるくらいきれいな心臓で環状動脈が太く、他の血管も素晴らしい!」ということだった。
先生は「安心してください」というような穏やかな顔で説明してくれたんだが、スッキリしない。当たり前だ。
僕から「それで先生。不整脈の原因は?」
先生から「それがわからないんです。」
そんな会話の後、さらにどうしようもない気持ちが沸き起こってきた。
このままでは、一生、この不整脈と付き合わないといけない。
いや、どんどん酷くなってるから、この先どうなるかわからない。
暗黒の気分で病院を出たのに、空はきれいに晴れ渡っていたのをしっかり覚えてる。