親を介護するまでは知らなかったという人が多いのだろうが、
このブログに書いてるように、実は末期ガンの人を健康体まで看護?介護?
したことがある。
だから、死にかけていた人が死なずに元気になっていく
道のりへと自分が誘導したという自負もある。
ただ、両親を介護していて、今、感じているのは、
病人は家族が方向性を持ってケアすればするほど元気になるということ。
そういうものに対して、訪問看護師のケアや介護施設のケアを見ていて、
自分との方向性の違いが段々と鮮明になってきた。
どういうことか?
訪問看護師(長いので、この後は訪看と書く)と話していて、
違和感を感じることがよくある。
1つだけここに書き残すことにする。
父が誤嚥性肺炎、その後、回復した3ヶ月後に、新型コロナに感染した。
あれらの時、いつ死んでもおかしくない状態だった。
二度とも、酸素吸入と痰吸引だけで何とか乗り切った。
鼻からの吸引、喉からの吸引、
それを2~3時間おきに。。。
それが今では、すっかり回復して、
SPO2が99%で、喉もゴロゴロと鳴らさずにすやすやと寝ている。
しかし、訪看は言う。
「SPO2が高くても、吸引すると痰は取れるので吸ってあげてください」
なるほど!取れるんだったら、してあげた方が良いかもしれない。
その方が父にとって快適な気がする。
しかし、こんなことを考えてしまう。
その快適さゆえに、こんなに寝たきりになるまで、ADLが落ちたんじゃないか?
(ADLとは日常生活動作のことで、普通のことができなくなっていく時によく使う単語)
看護や介護の世界では、どの状態が死に向かっているかだけでなく、
患者が快適に時間を過ごしていくことも含まれているのだと知った。
本当にありがたいこと!
しかし、
体は甘やかすと、どこまでもダメになる。
いや、どうせいつかは死ぬのだから、こうやって落ちていくのも
良いのかもしれない。
本当に痰をある限り吸引した方が良いのか?
それとも、ある程度までは放っておいて、自浄できる力を回復させるべきなのか?
どうすればいいか自分の中で葛藤する
父の中の自分の力を回復させて、復活させてあげたい気持ちが沸き起こるのは、
パートナーが自分の力で復活したこと、その後の彼女の人生を見ていて、
本当にそう思うからだ。
今、胃瘻の時に、エンシュアだけでなく、
朝と晩は、A社製のプロテインとマルチビタミン、
昼は、L社製のバイオハックトリオを入れている。
これに加えて、座位を取らせて、筋肉の復活を試みている。
細かいことを全て組み入れて、毎日毎日やり続けている。
どっちの考え方がどうだとではなく、どちらを父が望んでいるかなんだが。。
ただ、健康体の時の考え方と今の父の考え方が違うから、
ずっと寝ていたいとも思うようだ。
ここに連れて来てもうすぐ5か月。
何度もヤバい状態を乗り越え、確実に回復している父を見て、
自分のやり方を評価しても良い気はしている。
(座位は介護、看護業界では虐待とも解釈されかねないのだ)
もう少し続けてみることにする。